東大寺大仏展
「東大寺大仏~天平の至宝~展」(観覧料は1500円。会期は12/12まで)を見に、
上野の東京国立博物館へ。
◇東京国立博物館 東大寺大仏展~天平の至宝~
◇東京国立博物館
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12月にはめずらしい暖かさの日だったので(最高気温23.7℃!)、
まずは期間限定で解放されている庭園を散策。
(今年の秋の庭園公開は12/12まで)
池を中心に5棟の茶室や石碑や燈籠などがぽつりぽつりと。
紅葉もキレイで、コーヒーなど飲みつつ、しばしのんびり。
この「春草廬(しゅんそうろ)」は、
埼玉県所沢市にある松永安左エ門の柳瀬荘にあったものだそう。
(柳瀬荘を見に行ったときの記事はコチラ)
元々は、江戸時代に河村瑞賢(かわむらずいけん)が
摂津淀川改修工事の際に建てた休憩所で、
その後大阪に移され、原三渓が横浜の三渓園に運んだけど、
三渓園内には建てずに松永安左ヱ門に贈与、
昭和12年(1937)に柳瀬荘内に移築、
昭和23年に柳瀬荘が国立博物館に寄贈されて、
春草廬は昭和34年に現在の場所に移築・・・と、
何度もお引っ越しを繰り返した建物のようです(^^;。
三渓園にも「春草廬」という茶室があるけど、
そちらは「九窓亭」と呼ばれていた茶室に、
松永氏から返された扁額をかけて改名したもの。
でもって、こちらの春草廬に掲げられている「春草廬」の扁額は、
三渓氏が松永氏に贈ったもの、だそうですよ。
ややこしや~。
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庭園でゆったり気分になったところで、いよいよ「東大寺大仏展」へ。
「東大寺大仏展」といっても、さすがにあの大仏さまはいらっしゃいませんが、
1階ラウンジに置かれた、大仏さまの右手の実物大レプリカや、
会場内、8m四方の大画面で上映されているバーチャルリアリティー映像で、
「大仏さまのコトは、かなりわかっちゃったわよ、ワタシ」な気分に(笑)。
大きさや造形もすごいけど、
それに込められた人々の想いにも価値があるんだなあ、と気づいたり。
大仏さまの右手。高さは約2.6m
一緒に記念撮影もできるそうですが、ひとりだったので・・・(^^;。
こういうのが公園とかにあって、よじ登ったりできたら楽しいかも。
大仏殿の前庭中央にある八角燈籠の展示も、
大仏さまの大きさを実感する手助けに。
この画像だと、小さそうに見えるけど、高さは約4.6m
寺外では初めての公開だそうです。
ってゆーか、よくこんなものを運んだなあ、と(@_@)。
普段は雨ざらしになってるだろうにこの美しさ、というのもスゴイ。
寺外で初めてといえば、
法華堂の本尊・不空羂索観音菩薩立像の光背も。
高さは約5mで、この画像よりもっとずっとキラキラ~な感じ。
仏像のない状態で、光背だけを見る機会って、あんまりないので、
細かいところまでじっくり見られて、おもしろかったです。
他にも、瓦とか瓦とか瓦とか(展示前半は瓦ばかりの印象が(^^;)、
甘茶をかけたらおいしそうかも~(笑)な「誕生釈迦仏立像」とか、
思わず見とれてしまったキリっとしたイケメンの「僧形八幡神坐像」とか、
こんなブローチ欲しい~な「銀製鍍金蝉形(せみがた)子(さす)」とか、
アフロさん♪な「五劫思惟阿弥陀如来坐像」とか、
わくわくする展示物がいっぱい。
500円で利用できる音声ガイド(解説21点、30分)を聞きつつ、
あれこれじっくり見ていたら、あっという間に2時間以上たってました。
音声ガイドは、國村隼氏の、ゆったりした雰囲気のナレーション。
大仏開眼供養会の「伎楽」をイメージした音楽や、
「八角燈籠」に刻まれた音声菩薩(おんじょうぼさつ)が
持つ楽器を使った楽器も聞けて、
天平の世界に浸れるので、オススメです。
会場内はこんな雰囲気。
国立博物館の展示は、
いつも色遣いとかライティングとかの演出が見事ですよねえ。
あ、八角燈籠と不空羂索観音菩薩立像光背と会場内の画像は、
会場出口に置かれたチラシに書かれていたIDとパスワードで、
公式HPからダウンロードさせてもらいました~。
展覧会って、だいだいが撮影不可なので、
こういうかたちで画像が使えるのはウレシイです(^^)。
ミュージアムショップで買った三つ折りファイルは、1つ300円
ほんわかしたイラストに癒されますです。
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ところで。
東京・上野で大仏といえば、上野公園内にいらっしゃるこちらのお方も。
◆上野大仏
(逆光でうまく撮れてませんが(^^;)
寛永8(1631)年に、越後の国、村上城主堀丹後守藤原直寄公が、
戦乱にたおれた敵味方将兵の冥福を祈るために建立したという大仏さま。
約7mの高さの大仏さまだったそうですが、
今は、お顔の部分だけがお面のように壁面に。
何でお顔しかないかというと、
大正12(1923)年の関東大震災の時に頭が落ちたので、
解体されて寛永寺に保管されていたけど、
再建計画は資金の目処がたたず、
そうこうするうちに、昭和15(1940)年、顔面以外の頭部と胴部が
第二次世界大戦の軍需金属資源として供出され、
なくなってしまったから・・・だそう。
お顔だけになってしまっても、やさしくほほえむ大仏さま。
「もうこれ以上落ちることがない」ということで、
「合格大仏」としてがんばっている(?)そうですよ。
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